2008年12月14日日曜日

Fin

無事に日本に帰って来れましたので、2か月間に渡ってインドの生活を綴ったこのブログも終わりにします。『Avenue to India(インドへの道)』、楽しい事、大変だった事、新しい発見、感動、そして身の危険を感じた事、日本に帰ってこればすべて良い思い出です。残念ながら、インド人にはなれませんでしたが、この2か月の経験は非常に貴重なものでした。
2か月に渡ってこのブログを読んで下さった方、ありがとうございました。

■Avenue to India(写真集)
 2か月で撮った写真を格納した写真集です。
 http://croissant.dip.jp/~india2008/
 ※共に2か月を過ごした方々にはパスワードを別途お教えします。

2008年12月9日火曜日

日本に無事に到着

フランクフルト→日本はさらに10時間のフライトです。しかも同じ航空会社なので映画のセレクションもほぼ同じ・・・・。1本見ましたが、後は日本時間へ体を合わすために日本時間を逆算し寝る事にしました。しかし、フランクフルトと日本の時差は8時間あるため、周りがざわざわしててなかなかねつけま寝つけませんでした。と言っても、どこでも寝れる私ですので、目が覚めたら中国上空でしたwそして、朝食を取り無事に成田へ着陸!日本に帰ってきました。
2か月の海外生活は、ちょっとした事にもストレスを感じ、かつゆっくり落ち着ける場所がないため精神的にも辛かったです。しかも今回は、テロがあったりと治安も悪かったのでいつも緊張を強いられ大変でした。まあ、何よりも無事に戻って来れたので、よかったです・・・。

フランクフルト

9時間の暇な時間を乗り越え、フランクフルトに到着です。しかし飛行機が2時間遅れたため、次の便まで1時間しかありませんでした。しかし、せっかくフランクフルトの来たのだからと思い、大急ぎでソーセージとビールを飲みました。インドに居た時は、肉が基本的に食べれなかったので、ここでのソーセージは凄く身にしみておいしかったです。

プネ→フランクフルト

プネ→フランクフルトは、ビジネスクラスしかない飛行機で人生初のビジネスクラスを体験しました。エコノミークラスと違って、足が伸ばせるしイスがフルフラットになって寝る事もできます。
しかし、エンターテイメントシステムはよくありませんでした。行きのシンガポール航空はエコノミーでも、一人に一台ディスプレイが付いていて、膨大な映画を見ることができました。しかし、この飛行機は、ハンディータイプの端末内にデータを格納するタイプであり、映画の数や音楽の数が限られています。このため、9時間のフライトは厳しかったです。
また、中型機のため飛行中にものすごく揺れました。私はあまり乗り物で酔わないタイプですが、今回のは厳しかったです。

日本への道のり1

テロなど危険な要素が沢山ありましたが、どうにか無事に帰りつくことができました。ただし、日本までの道のりは長かったです。
まず、アパートを午前00:00過ぎに出発し予定通り1:00に空港につきました。しかし、空港へ入るセキュリティチェックで、ライフルを持った軍人が構えていて中には入れてくれません。話を聞いてみると、どうやら飛行機が遅れているとの事。
待つ事30分空港には入れてもらえたのですが、第2の関門が!それは、空港内に入ったものの、チェックインカウンターが1時間後にしか空かないとの事。2:30まで空港内で時間を潰す事に・・・しかも何も無い空港で電気も十分についていません。ちなみに、2時間飛行機が遅れているとの情報が警備員から入りましたが、掲示板はスケジュールドになっている・・・。この当たりがインド・・・。
チェックインカウンターが開くと第3の関門が!それは日本に帰るのにフランクフルトを経由するという変なルートが逆に怪しまれたのです。ムンバイでのテロを受けて安全なルートを取っている事を説明し、変更前のEチケットの確認やパスポートのコピーを取られ大変でした。
そして、チェックインを済ませると最後の関門が!飛行機はやっぱり2時間遅れてきのたです。空港内で仮眠をとりつつプネ空港を離陸したのが7時でした。12時にアパートを出て一番眠い時間を空港で過ごしたため、もうこの時点でクタクタです。

2008年12月6日土曜日

ついに最終日!しかし・・・

2ヶ月のインド研修もついに最終日です。しかし、受講生は会社との連絡に追われています。というもの、昨日のニュースを受けて帰国ルートを変更するためです。PMクラスの受講生は営業代理店を通しているため、会社間の情報伝達がうまくいっておらず、情報が錯綜していました。しかし、MDPクラスの10名は即座に、フランクフルト経由に変更し、当日出発の航空券の手配も完了させました。後で、聞くところによると、以前のムンバイからバンガロールに変更したタイミングで、他の経路も仮押さえしていたようで、さすが商社さんです。それから遅れる事半日、我々の帰国ルートもフランクフルト経由に決定し、明日出発分の航空券の手配も完了しました。当日出発は、時間的に無理だったようです。
授業も終わりましたが、最終日はバタバタしていたため余り達成感というものがありません・・・。

2008年12月5日金曜日

社長と会食

日中はバタバタしていましたが、本日の夜はSBSの副社長にお誘いいただいてディナーに行って来ました。参加者は、SBSのインド社長、オフショアセンター管轄の副社長を始めオフショアプロジェクトのPMの方々、と大変豪華な顔ぶれでした。オフショアプロジェクトのPMの方々は日本語が上手であり、一人の方は完璧に関西人に成りきっていてビックリしました。
場所Aundh近くのホテルのレストランでしたが、スタータのチキンやエビでお腹がいっぱいになってしまい、カレーやデザートを食べる頃には苦しくなっていました。

テロ予告と帰国ルート

インドでの研修も残り2日になりましたが、本日のインド時間でお昼、新たなる事件が起きました。というのも、インド治安当局からの情報で6日前後にバンガロール・ニューデリー・チェンナイでハイジャックテロが計画されているとの情報がニュースサイトに掲載されたのです。バンガロールと言えば、我々の帰国ルートです!さらに6日となればBINGOです。
代替ルートの検討をしたところ、①フランクフルト経由。②水曜まで待ってドバイ経由。②リスクを軽減してムンバイ経由、というところが妥当な代替ルートでした。①は、安全ですがプネ→フランクフルトがAllビジネスクラスの飛行機であるのと、ヨーロッパを経由するため24時間と言う長い飛行時間で非常にハードな移動です。かと言って水曜まで待つのも大変ですし、ムンバイも怖いです・・・。

2008年12月4日木曜日

卒業式

我々の授業は金曜日までですが、もう一方のコースは本日が最終日であるため、合同で卒業式が行われました。卒業式には、ほぼ全員がクルタやサリーを着て参加し、花飾りや額に印をつけて盛大に行われました。式自体は日本でも一般的な、一人づつ名前を呼ばれ、卒業証書をもらい、簡単なスピーチをするというものでした。しかし、授賞式の後にインドの踊り?をしてくれる人達が来て変わった踊りを見せて貰い、大いに盛り上がりました。
2ヶ月インドに居ますが「もう終わってしまった」というか「やっと終わった」というか複雑な心境です。

2008年12月2日火曜日

無事に航空券をGET

昨日からバタバタしていた帰国の航空券ですが、ようやく本日手元に届きました。帰国ルートは危険なムンバイを避け、プネ→バンガロール→シンガポール→成田です。バンガロールも今年になってからテロが発生した場所ですが、ムンバイよりは安全との事なので大丈夫でしょう。
ちなみに、本日の授業はSBSの副社長の方にオフショアについて授業をしていただきました。インドでの人材リソースの確保の話や安定したネットワークインフラの確保の方法など、非常に興味深い内容が聞けて満足しています。今までの授業は、どちらかと言うとアカデミックな内容であったため、本日のような現場の話が聞けると新鮮です。

帰国のための航空券

本日は、朝からバダバダして居ました。というのも、ムンバイのテロを受けてムンバイを経由しない帰国ルートを検討する必要があり、会社や学校との調整に追われていました。会社側はすぐに回答をいただけたのですが、学校側がなかなか動いてもらえず大変苦労しました。さらに、今日の帰りになって「予約が取れないかもしれない」との事・・・・。勘弁してもらいたいです。この辺りもインドクオリティなのでしょう・・・2ヶ月インドに居ますが、まだまだインドクオリティにはストレスを感じます。
そして、学校が終わってからは私のアパート(テロの影響で外出が禁止されていますので)で、こちらの駐在員の2名の方を交えたホームパーティを開催しました。そこでは「日本人の考え方が世界全体から見れば特殊であり、日本人がもっと世界に歩みよる必要がある」事など、たいへん良い話を聞けました。駐在員の方と会うのは3回目ですが、毎回良いお話を聞かせてもらえます。

2008年12月1日月曜日

家でまったり

テロの影響でAundh(住んでいる町)以外は出れませんし、今日は家でまったりと過ごしました。振り返ってみると、インドに来てから週末という週末はどこかへ出かけ遊んでいた気がしますので、久しぶりのマッタリ過ごす週末でした。